情熱というエンジン
チャプレンのことば
2018/07/02
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 斎藤 徹
情熱というエンジン
しかしながら、生きる上でもつ何かへの情熱は、想いを形にする確かな力、エンジンとして働いているのだと思います。
キリストの復活を信じきれなかった二人の弟子は、エルサレムから離れていく道すがら、復活したキリストに出会います。しかし、二人の心は遮られていてそれが誰なのか分かりませんでした。後に、自分たちが「その方」と共にいた時、心が燃えていたと気づき、すぐに道を引き返して、復活したキリストに出会ったことを人びとに証しました。離れていく者、遮られている者だった二人は、確かな情熱によって、復活を見つめる者、喜びを告げる者として歩み出していったのです。
情熱というエンジンの鼓動を感じてみてください。きっとそこには確かな推進力が備えられているはずです。
キリストの復活を信じきれなかった二人の弟子は、エルサレムから離れていく道すがら、復活したキリストに出会います。しかし、二人の心は遮られていてそれが誰なのか分かりませんでした。後に、自分たちが「その方」と共にいた時、心が燃えていたと気づき、すぐに道を引き返して、復活したキリストに出会ったことを人びとに証しました。離れていく者、遮られている者だった二人は、確かな情熱によって、復活を見つめる者、喜びを告げる者として歩み出していったのです。
情熱というエンジンの鼓動を感じてみてください。きっとそこには確かな推進力が備えられているはずです。
※本記事は季刊「立教」244号(2018年4月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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