人間とはどのような存在なのか── 人生は冒険的
チャプレンのことば
2018/05/08
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン長 五十嵐 正司
人間とはどのような存在なのか── 人生は冒険的
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1:27)。わたしたち人間とはどのような存在なのかと思い巡らすとき、この聖句はキーワードになります。わたしたちはたまたまこの世に生きる者ではなく、神の意志により、しかも神にかたどって造られた尊い存在です。自分も隣人も誰もが神のように創造された尊い存在。この尊い存在は、互いに自分とは違った存在として造られ、男と女に造られました。この違った存在が共に生きる姿を指して聖書は「人」と記しています。
違うものと共に歩むとき、初めに戸惑いを感じます。共にいるときにはさまざまなダイナミクスが生じ、嬉しい、楽しい、悲しい、憤りなどの体験をすることもあります。しかしこれによって成熟した人間に成長するのではないでしょうか。違う人との関わりは冒険的です。でも冒険するようにと神は男と女を造られたのではないでしょうか。
違うものと共に歩むとき、初めに戸惑いを感じます。共にいるときにはさまざまなダイナミクスが生じ、嬉しい、楽しい、悲しい、憤りなどの体験をすることもあります。しかしこれによって成熟した人間に成長するのではないでしょうか。違う人との関わりは冒険的です。でも冒険するようにと神は男と女を造られたのではないでしょうか。
※本記事は季刊「立教」243号(2018年1月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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